[特別寄稿] 東アジア近代化150年、国際定義のための韓国の役割

李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学国史学科名誉教授

(ソウル新聞20197304掲載)

入力 : 2019-07-29 18:08 ㅣ 修正 : 2019-07-30 18:19

西洋列強が中国、日本、韓国の門を叩いて1世紀半(150年)以上の時間が流れた。その間東アジアの歴史は文字どおり波瀾万丈だった。日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争など大規模な戦争が相次いだ。1920年代に共産主義が登場して左右の勢力間の葛藤も激しかった。共産主義は発生地ではすでに消えてしまったが、ここでは体制として厳存している。この時期の歴史の大きな流れは農業一辺倒の経済が西洋の機械文明を受け入れて商工業中心に産業化したという事実だ。三国がこの大転換の歴史をそれぞれ違う方式で歩んできた点に注目する必要がある。

日本は明治維新から国家主義と軍国主義の枠組みの下で、中国と韓国は自由主義と共産主義の対立相反の中でその歴史を書いてきた。それぞれの違う体験はそれぞれの国体と領土的現実として残っている。中国の両岸体制、韓国の分断体制がそれぞれ宿題として残っている一方で、日本は‘天皇制国家主義’が右傾化の強化につながっている。

誰か見ても誇らしい自画像とはいえない。農業経済の枠組みにそのままとどまっている北朝鮮、共産党体制と資本主義経済とを並存させている中国(本土)、資本主義経済の最優等生を自負しつつも帝国主義時代の‘栄光’の復活を公然と掲げる日本、すべてが望ましい姿とはいえない。韓国が資本主義経済の優等生の列に入りつつも時ならぬの左右論争の中で経済実績をつぶしていく姿も正常とはいえない。

今日は過去から始まる。困難を打開するには歴史を振り返ってみる必要がある。 過ぎ去った一世紀半を埋めつくしたかのような戦争の中で朝鮮戦争一つを除けば、残りの四つは全て日本が起こしたものだ。近·現代の東アジアを日本がつかみ揺り動かしたのだと言っても過言ではない。その根源として吉田松陰(1830~1859)を知らなければならない。彼は明治王政復古を主導した伊藤博文、山県有朋などいわゆる長州勢力の師匠で、幕府打倒を叫んで29才のときに処刑された人物だ。彼が獄中で書いた「幽囚録」は、弟子たちの教典になって日本帝国を侵略戦争国にしたのだ。現在の安倍晋三総理が2013年8月13日に新任総理として靖国神社の代わりに萩にある吉田松陰の墓地を参拝して言論界の注目をあびた。彼は吉田松陰の特別な崇拝者だ。

「幽囚録」の要旨は次のとおりだ。島国日本を取り囲む四方の海は帆船時代には城壁の役割をしたが、蒸気船の時代には四方が開かれてしまった形勢になった。日本の生存は西洋の優秀な技術を速く習って、列強に先立って周辺の国々を占領することだといい、占領の対象として北海道、琉球、台湾。朝鮮、満州、モンゴル。中国等を順番に挙げた。それに続けて中国の占領を踏み台にしてオーストラリア占領とカリフォルニア進出まで掲げた。さらに驚くべきは彼の弟子たちが師匠の主張を順番どおりに実践したという事実だ。政権の初期に北海道、琉球を占領して、日清戦争の結果として台湾を手に入れた。日露戦争の勝利で韓国併合を強制して満州進出への橋頭堡を確保した。続けて昭和に入ると満州事変と日中戦争を順に起こし、遂にアメリカを相手に太平洋戦争を起こした。大韓帝国は自力近代化の成果を基盤にして国際社会から中立国の承認を受ける戦略を推進したが、日本の日露戦争勝利によって国権を強制的に奪われてしまった。大韓帝国を継承した大韓民国臨時政府は中国で粘り強く抗日闘争の歴史を書いた。

日帝侵略主義は国際社会から膺懲された。1920年に誕生した国際連盟は1932年満州事変の不法性を糾弾し、1935年には「条約に関する法」において1905年の保護条約(乙巳保護条約)を歴史上の効力を発生できない不法条約の三つの中の一つに挙げた。国際連盟は1927~1935年のあいだ国際法の法典化(codification)作業を推進して、学説上にしか存在していなかった国際法を公法の地位に引き上げた。この成果は1946年に後身の機構である国際連合へと引き渡された。国連国際法委員会は1963年に上の不法条約の三つにナチスのチェコスロバキア強制分割条約のひとつをさらに加えて総会決議として採択した。これによれば、1965年‘日韓基本条約’において日本の韓国植民地支配は当然に‘不法’として処理するべきであった。しかし韓国政府は国連加盟国でなかったためか、これを知らなかったし、日本は国連加盟国であったのにもかかわらず、これを無視して論外となった。日本の無視は1951年9月の‘サンフランシスコ対日平和条約’と関係がないわけではない。

アメリカは太平洋戦争の終戦処理において日本ファシズムに対する厳罰主義を選んだが、中国本土が共産化するとすぐに日本を反共前線の踏み台にしようと寛容主義に変更した。サンフランシスコ平和会議はその結果であった。アメリカはもともと韓国臨時政府の中国国民党政府軍との共同抗日戦の実績を交戦国資格要件と認定して、条約締結国および批准国に大韓民国を入れていた。1951年3月に提示されたダラス案の内容がそうだった。これに対して英国政府が反対すると、日本の吉田茂総理がそれを待っていたといわんばかりに強い反対意思を表わした。今までのアメリカ政府が韓国参加を反対したという認識は、誤った理解から始まった。条約締結国からの韓国排除は日本の不法植民地支配の責任を蒸発させた。日本と英国は東西の代表的な植民主義国家だった。この二国によるこの会議の弥縫的処置が現在の日本の逆行の原因になっているならば、これに対する是正がなければならない。

中国の資本主義経済と共産党体制の併存は一時的でなものであるべきだ。共産党体制強化を兼ねる資本主義経済力強化は右傾化した日本をさらに刺激するだろう。この論理は北朝鮮に対しても同じだ。日本の侵略主義の歴史の最大の被害国である韓国が行く道は、大国の真似をするよりは東アジアの国際正義の実現するという役割の中心が望ましい。安重根は、「韓国はあまりにも柔順すぎて(仁弱)、他国を侵略しない国だが、日本は道がない武力の国で必ず滅びる。」と言った。過去の歴史から見てみると、東アジアにおいて国際正義の実現を掲げる資格は韓国にしかない。韓国までその役割を無視するならば東アジアは再び乱闘劇の舞台になってしまうだろう。国力をさらに育てて国際正義の実現に努めるならばさらに光り輝く歴史とならないだろうか。道を守ることの美しさを悟るべき時だろう。

2019-07-30 4面

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